イタリアで起きたロックダウンのお話
- 2021.12.07
- ✎ 日本のOLになったイタリア女子
ロックダウンの時期
2020年2月の終わりに、コロナウイルスの最初の症例が発見されて、一部の北の地域にロックダウンを命じられます。
3月11日に全国のロックダウンを始めます。具体的には次のようなことが起こりました。
- 学校を閉めます。
- 店・商業活動・本質的ではない生産活動を閉店します。
- レストランや喫茶店を閉めます。
- 映画館や博物館などを閉めます。
- 全部のスポーツ活動を停止します。
ただし、食料品店と薬局だけを開けてあります。
「本質的なニーズ」か「健康の理由」だけあれば、家をでられます。そして、どうして家を出たかという証明書を持って行かなければなりません。(例えば、「買い物をしに出て行きます」)
でも自分の市町村から出られません。
私は田舎に住んでいますから、互いに近い多くの村があっても、違うの市町村があります。だから、間違えないように、初めて地図で私の市町村の境界を探しました!
5月3日にロックダウンを終わりました。でも、その後も色々な厳しい規則が続きます。
国民の反応
ある日から次の日へ、一日で日常生活が変わりました。まだコロナウイルスについてあまり知らなかったので、人々には恐れている物が多かったです。毎日、心配して夜のニュースを待ちました。
子供から老人まで、皆さんに隔離が大変でした。あの時見た悲劇的なニュースを決して忘れないと思います。
互いに勇気を出すとサポートするために、5月13日の18時にバルコニーの外で一緒に国歌を歌い始めました。ビデオを全世界に人気なりました。あの日から、毎日同じ時間に有名なイタリアの歌を歌いました。
その上でバルコニーや窓の外に子供に作られた虹と「andrà tutto bene」(「すべてうまく行くよ」)という言葉が書いてあるポスターを掛けて始めました。
友人と家族との関係を保つために、オンラインハッピーアワーや晩ご飯などが人気になりました。
私の家族もハッピーアワーをしました。画面にしか見えなくても、友達と会えることはとても良かったです!
たくさんの人にはレストランへ行くことが懐かしかったし、その時と同じように時間を過ごすために、シェフになろうとしました。実は、小麦粉と酵母が色々な料理の主成分ですから、よくスーパでなくなってしました。
私のロックダウンの経験
私は田舎に住んでいますので、都市のアパートに住んでいる人と違う経験があったと思います。
幸運にもコロナウイルスの始めに他のイタリアの地域と比べて、私の地域はあまり影響を受けませんでした。でも規則を守ると、ある日から次の日へ生活が完全に変わりました。
日常生活がなくなってしまったので、新しいのを作れるために花がある植物を買いにしました。毎日水をやりましたし、よく育っているかどうかをチェックしました。
少しの時間の後で、私にもレストランが懐かしくなって、初めて餃子を作りました!美味しかったので、嬉しいです!
そして、時間を過ごすために色々な映画を見て、友達とビデオ通話をしました。絵の練習をしようと新しい水彩絵の具のセットも買いました。
老人の方が感染したらとても危ないので、毎週一回買い物をしに行った時、おばあさんにも買い物を持って行きました。その日は家を出て、おばあさんと会えましたから、いつも楽しみしていました。でも安心のために、庭に立って遠くから話しました。
大変な時期でしたが、これからロックダウンが決してないことを願いしましょう!
Ciao!
FRANCESCA BALDUZZI
フランチェスカ・バルドゥッツィ
イタリア・ラヴェンナ出身
国立ヴェネツィア大学卒
2021年4月神谷コーポレーション入社